脱サラしてからほとんどが失敗続きだった村田だが、ある公共工事を引き受けたことにより年収が会社員時代の半分まで回復したと言っている。

 

「あれは確か2001年の頃ですかね、兵庫県の五色塚古墳というところがあるのです。まぁ古墳といってもかなり小さめの古墳なんですがね、そこにカビが発生しているというニュースを見て、一目散に兵庫県に向かいました。この時の自分の行動力は流石!と自分でも褒めてあげたいと思いました。まぁでも脱サラしてからは、この時のように情熱をかけるってことがあまりなかったですからそういう意味では非常に昔を思い出せてくれる事件でしたね。」

 

この時の村田の心情は他人が推測できるものではないが、公的機関に対しての営業の仕方はあまり日本では広まっていない。それにも関わらず突っ込んでいった村田の行動力には脱帽する。

 

その甲斐もあってか、村田はこの公的機関の仕事を受注することが出来た。彼の会社の資本金はその当時で2000万円。収益は工程が半分終了した段階で半額支払われる契約だったため、最初の工事費用を賄うためにまたしても山一時代の同僚に頭をさげることになる。

 

「脱サラすると大変だな」と労ってくれるものもいれば、「脱サラなんかするからだ」と出資を断るものもいた。