脱サラもたまにはいいもんだ。

脱サラもたまにはいいもんですよ。私はこれまでサラリーマンとして長年勤めてきましたが、会社に対する不満が山のようにありました。だから脱サラしてみたんです。今は気ままな自由な生活をしています。

カテゴリ: 脱サラ

今日は日曜日で天気も良かったので、家族でお出掛けしました。
お出掛けと言っても、駅ビルのお店を見たり、気になっていた商品を物色したりという感じですが、楽しい1日でした。

そんな週末の街では、大抵携帯ショップのキャンペーンイベントが行われています。
いつもは素通りしてしまうのですが、私が使っている携帯が古く、友達から送られてきた画像が見れなかったりすることが多くなってきて、
そろそろ変えなきゃいけないかなと思っていたので立ち寄ると、無料で抽選会をやっていて、家族3人いたので外れのボールペン2本と、娘が当たりを引きラップを頂きました。

せっかくなので、店員さんとお話させて頂いたのですが、やはりもう出ている機種はほとんどスマートフォンの様で、
中々スマートフォンに踏み出せない私は、あれやこれやと質問してしまいましたが、丁寧に応えてくださって嬉しかったです。
店員さんと話をしていてまだピンと来る機種が無いので、自分にとって理想的な機種が出たらスマートフォンにしようと、考えが変わりました。

そして、店員さんがとても感じが良かったので、機種変更する際は今日立ち寄ったショップへ行く予定です。

ふと、そんな自分の気持ちを冷静に考えてしまい、キャンペーンイベントの効果が大きい事に気付きました。
その場やその日中に利益にならなくても、良い接客をしていれば後日来てくれる可能性があるものですね。

キャンペーンをやる事で人を集めれば、沢山の人に伝えたり話を聞けたりと、メリットが沢山あるんだなと改めて感じました。

今日は私が村田の取材中に心底心を打たれた発言を見てもらおうではないか。


「実は脱サラをしてからも会社員時代の顧客とは今でもつながりがあるのです。彼らはいずれも私が証券会社に勤めていた時に私の投資アドバイスを親身に受け止めてくれていた人達です。本当はあってはならないことですが内緒でプライベートの携帯も交換しています。


彼らは脱サラ後の私の生活を気にかけてくれていました。そのため、私が住んでいる今津線の近くで人身事故が発生したというニュースが流れた時なんかはすごかったですね。電話が。私が懇意にしているお客様全員からメールもしくは電話がありましたから。

 

 

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脱サラしてからほとんどが失敗続きだった村田だが、ある公共工事を引き受けたことにより年収が会社員時代の半分まで回復したと言っている。

 

「あれは確か2001年の頃ですかね、兵庫県の五色塚古墳というところがあるのです。まぁ古墳といってもかなり小さめの古墳なんですがね、そこにカビが発生しているというニュースを見て、一目散に兵庫県に向かいました。この時の自分の行動力は流石!と自分でも褒めてあげたいと思いました。まぁでも脱サラしてからは、この時のように情熱をかけるってことがあまりなかったですからそういう意味では非常に昔を思い出せてくれる事件でしたね。」

 

この時の村田の心情は他人が推測できるものではないが、公的機関に対しての営業の仕方はあまり日本では広まっていない。それにも関わらず突っ込んでいった村田の行動力には脱帽する。

 

その甲斐もあってか、村田はこの公的機関の仕事を受注することが出来た。彼の会社の資本金はその当時で2000万円。収益は工程が半分終了した段階で半額支払われる契約だったため、最初の工事費用を賄うためにまたしても山一時代の同僚に頭をさげることになる。

 

「脱サラすると大変だな」と労ってくれるものもいれば、「脱サラなんかするからだ」と出資を断るものもいた。

 

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